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■【小ネタ】98年から一貫して変わらないゲームへの思い、『WIRED』誌に掲載された名越稔洋コラム。






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98年から一貫して変わらないゲームへの思い、『WIRED』誌に掲載された名越稔洋コラム。


535 名無しさん必死だな [sage] 2011/07/26(火) 00:22:51.91 ID:IMxG1uan0

http://web.archive.org/web/20060830162811/http://joe_2.at.infoseek.co.jp/suzuki/index.html

1998年の鈴木裕と名越(最後の2つ)の書いたコラム。
当時と今を比べてもなごっさんの考え方がブレてないのがスゲェ。
龍が如くの代わりにスパイクアウトだっただけで。
鈴木裕はやっぱアーケードの先端を走る人間って感じがする。
鈴木裕のリアルライフ・バーチャルバイツ 「番外編その1 僕から見たプロデュ―サー業、そして鈴木裕」
突然ですが、今回と次回のこのコーナーは、鈴木裕に代わって、名越稔洋がお話をしたいと思います。現在、鈴木が自身のプロデュースするプロジェクトの佳境に入り、どうしてもそっちに集中したいというので、そのピンチヒッターといったところです。どうぞよろしく。

 さて今回は、かつては鈴木の下で、現在はプロジェクト・リーダーとしてゲーム製作にかかわっている僕の目から見たゲームプロデューサーという仕事、そして鈴木裕という人物についてお話したいと思っています。
 ところで僕は今、鈴木と同様、社内的には「ゲームプロデューサー」という肩書きになっていますけど、自己判断したら「プロデューサー(なりかけ)」とか「なりたがっている人」という段階だと思っているんです。プロデューサーという肩書きは、映画にせよテレビにせよずいぶん以前からあって皆さんもそちらのイメージが強いんじゃないでしょうか。プロデューサーは、現場で実務を経験した上で、自分のコアとなる技術を持ちながらその他の知識を応用して作品を工業的な面までプロデュースする、というのが一般的だと思うんです。

 でも、ゲーム産業がメジャーになったのはここ10年くらいです。その中で本当にプロデューサーと呼べる人は一握りだし、マーケット志向で考えられる人は少ないと思います。自分も正確にはプロデューサーと呼べるかどうか疑問です。ディレクターだとは思いますけど。僕も鈴木も直接製作に携わる部分が大きいですから。
 また、同じプロデューサーでも、鈴木がプログラマー出身なのに対して、僕はデザイナー出身という大きな違いもあります。僕は学生時代は映画を撮っていました。で、映画屋さんというのは「技術」を重視しない商売なんです。「感性」がすべてで、それに必要な技術を後からつけてくという風潮があり、それが僕のもの作りの基本的な考え方でもあったんです。ところがセガという会社に入ってみるとまったく逆で、まず「技術」ありきだった。プレイヤーに驚きを与える唯一のファクターは技術であって、それ以外に説得する要素は何もないんだ、ということを言われたんです。最初は首を傾げながらやってましたが、結果をみていくと「なるほど」と納得させられる部分もあって、その頃は疑問と納得が繰り返しやってきてました。

 鈴木の下には6年間いたんですが、もの作りへのアプローチがまったく違う人と一緒に仕事ができたというのは非常に勉強になりました。ゲームの中で、最終的にプレイヤーに対して何をしてあげるのかという動機づけがないと、開発者もそれをつくる動機を得られないと僕は思っていたんです。だけど鈴木のすごいところは、その動機づけがいらないということ。それを後から考えられる人なんです。プロジェクトが7-8割進んで、その時点で一番いい技術をもってくる。そして残りで後の部分を決めていって作品にする。周りは非常にしんどいですね。でもそうすることによって、ゲーム以外の分野の人達からみても非常に驚きのある創造物ができるんです。
 といってもプロジェクトの期間は長いですし、リーダーに「何をするのか」というモチベーションがないまま物を作っていくというのは大変です。僕はプログラムの仕組みは分かるけど組めはしませんから、鈴木と同じ遣り方で人を引っ張ることはできない。やはり、ものを作る上での動機づけが、僕の場合には絶対に必要なんです。

 今、自分でプロジェクトを組んで組織を運営するに当たっては、自分のスタイルでやっています。結局、僕は「感性がすべて」でアプローチする人間ですから。人間には本性というものがあるので、会社で学んだからといって本性を曲げてまでする仕事は長続きしないし、他人に対して説得力がないわけです。プロジェクトを進める上で、自分の言葉をきちんと人に伝えるためには、自分のスタイルをそのままやる方がいいだろうと考えています。もちろん、技術の大切さを分かった上でですけど。
 具体的に言うと、僕はまず最初に、これから作ろうとするゲームのプロモーションビデオを製作するんです。イメージを鮮明化させ、それに向かってプロジェクトを進める。僕は「作りきる」というところを目指しているので、途中の作り方の美しさとかスマートさというのは必要ないんです。

 実際に作品を市場に出せば、技術重視、感性重視のどちらにしても、その時代の文化に沿っているものが選ばれるだろうし、どちらが絶対ということはないはずです。それで僕はいいんじゃないかなって思っています。

鈴木裕のリアルライフ・バーチャルバイツ 「番外編その2 オリジナルをプロデュースするということ」
 今回も鈴木に代わって、僕、名越稔洋がお話します。前回は「同じプロデューサーでも、僕の場合は鈴木裕とはゲーム製作へのアプローチが異なる」ということを言いました。ではプロデューサーとして実際に何を考え、何をするのか。このことを分かってもらうために、最新作「スパイクアウト」について述べたいと思います。

「スパイクアウト」は世界初のネットワーク型の格闘ゲームです。僕はプレイヤーの立場からも格闘ゲームは大好きですが、今までのものには飽きてしまっていたというのが開発のきっかけでした。攻撃を「受けて」「返して」ということに重点をおくのではなく、「倒した」「倒された」ということ自体を楽しめるゲームを作りたいと思ったんです。また、「家では絶対やれないぞ」というものを作りたかったので、1プレイヤーに1キャビネットという、対戦型ドライブゲームと同様のシステムを採ることにしました。

「スパイクアウト」の一番の特徴は、複数のプレイヤーが「対面」ではなく「並列」になっていること、つまり「対戦型」ではなく「協力型」にしたところです。この世の中には「対戦型」ほど分かりやすいシステムは存在しません。ジャンケンからサッカーのような複雑なルールのものに至るまで、勝ち負けがすべてです。アクションゲームにもスコアという勝ち負けは存在します。そんな中で、「とにかく先に進みたい。そのために協力して敵を倒す」というゲームがあってもいいんじゃないかなと思ったんです。開発に当たっては、このことを最初にスタッフに説明しました。
 プレイヤーに「先に進みたい」「ほかの画面を見たい」と思わせるには、ゲームの中の世界に魅力がなければなりません。そのためには、ドライブゲームがまず現実の車、道幅をシミュレートしたように、リアルな「町」を丸ごと再現する必要があると思いました。たとえば、普通に存在するようなデパートを作って、そこをファイティング・シーンに活かそうと思ったんです。デパート内のフードコートのテーブルとイスは、すべて投げつけることができるし、CDショップのCDもちゃんと崩れます。
 そういったリアルな反応は、格闘自体と同じくらいゲームを楽しませる要素となり得るんです。作り手としても、そこを追求し始めたら驚くほど面白かった。出来上がったこのゲームを逆に企画書に起こしなおして、その分量を製作前にチームに見せていたら、おそらくみんなが「会社を辞める」と言っていたでしょう。気がついたらそれくらいの作業量を夢中になってこなしていたんです。

 今回の製作は「スタッフの勉強」という面もありました。スタッフの多くがセガの中ではベテランといわれているのに、これまでは人気ゲームの続編ばかりで、オリジナルのものを作ったことがなかったんです。僕はそんな彼らに脳みそを使って「ハアハア」言うような仕事をして欲しかった。今回の組み立てては崩すという繰り返しの作業はみんなの勉強になったと信じていますし、その面白さも分かってもらえたと思ってます。
 たとえば、賢い敵キャラを作るための「エネミープログラム」を組むのは非常にたいへんでした。敵の「賢さ」をどこに求めるか、敵が出現して、逃げたり追ってきたりする判断基準をどこに設定するかなどです。ただ、これは作り手が考えれば考えるほど、ゲームの中の敵キャラが賢くなっていくのがよく分かる。それにつれ、スタッフ達の喜びも大きくなっていったということがありました。

 また、ゲームを設定していく上で忘れてはならないのは、作り手はプレイヤーに「こう遊んで欲しい」とは言えても、「こう遊べ」とは言えないことです。われわれのチームは二十数人ですけど、遊ぶ人はその何万倍もいて、彼らがプレイしながら作り出していく遊び方やルールは計り知れません。「ごり押し」をしても、インタラクティブ・ゲームにおいてそれは気味の悪い要素になってしまう。そんな中で僕は「自分自身が嫌悪感を持つものは入れない」ということでゲームの世界を統制しています。
 また最近、ゲーム業界に対してマンネリ化を指摘する声をよく聞きますが、「スパイクアウト」はその反発から生まれたものでもあるんです。僕は「実現する可能性があるならやっていこう」というスタンスでものをつくっていきたい。それで形にできれば、「何か方法はあるもんだ」という風に、セガのチームや業界の中の考え方も変わっていくと思います。
 それに、やりたい人がやりたいスタイルでゲームを作って欲しいとも思っています。クリエイターにはやはり「自分のサイズ」がありますから、そのサイズに合わない会社で合わない仕事をやるのは非常にもったいない。ただし「合わないならやめる」という考えを助長するわけではありません。合う、合わないの結論を出す前に、まず合わせようという試みを行ったかどうか考えてみてください。簡単にあきらめるのではなく、合わせる努力は何事においても必要です。そこは大事に考えて欲しいんです。クリエイターたち一人一人が業界の一端を担っている人間なんだという風に考えないと、ゲーム業界に明るい未来はないんじゃないでしょうか。

名越さん、ずっと考えにブレが無いのか。
ゲーム内の世界へのこだわりは『龍が如く』にも通じるものが。

所々、誤字を修正しつつ、あえて全文転載しました。
最後の「合う、合わないの結論を出す前に、まず合わせようという試みを行ったかどうか考えて」はゲーム業界でなくても大事な言葉だな、と。
今でも稼動してるトコあるけど、『スパイクアウト』当時めちゃくちゃプレイした記憶が。

また、鈴木裕さんの「ユーザーの声は半分だけ聞けばいい」の話もなかなか面白かったのでそちらも紹介。

鈴木裕のリアルライフ・バーチャルバイツ 「第7回 ユーザーの声は半分だけ聞けばいい」
 僕はゲームを製作するときいつも「ユーザーのために作るんだ」ということをスタッフに言っています。 僕たちが作り手として一番大切にすべきことは、ユーザーに喜んでもらうという意識です。自分のエゴのために作るんだったら会社を辞めなさい、と言います。ユーザーのために作るということはゲームがヒットして売上にもつながる。だからスタッフに対してもいろいろな面で還元できる。当然、会社のためにもなる。だから、ユーザーのためといっても本質的には、それはスタッフのためでもあり、会社のためでもあるわけです。ユーザーを守ればあとはついてくる。この順序を逆にして部下のために、やりたいことをやらせてヒットしなければ、大きな喜びも味わえず、給料も上げてあげられない。結局、部下のためにもならなくなる。あるいは会社に言われた通り期限を守ってすべてを言われるがままに作れば、 今度はクオリティがあるラインに達しないで発売してしまうと言ったことも起こりかねない。ユーザーが絶対だと言うことは、結局全てが後についてくるからなんです。

 しかし、ユーザーのために作ろうとしたとき、多くの「作り手」が勘違いしてしまうポイントがあります。それが世の中のトレンドやユーザーのニーズというものの捉え方です。大抵の場合、ユーザーが喜ぶものを作るならユーザーリサーチを大事にしましょう、ニーズを掴みましょう、という話になる。ユーザーが欲していることをすればいいんだよ、と。しかし、それを100%にする と失敗なんです。僕はユーザーの意見は半分だけ聞きます。そして、もう半分は僕らが考えるニュートレンドを提示します。そうしなければ、本当にヒッ トするゲームは作れないし、ゲームやゲームを取り巻く環境というものも進化しないからです。

 リサーチに必要なのは、ユーザーの声を鵜呑みにすることではなく、その表層的な声の中からある統一性を押え、なぜそういうことを言うのか?という本質的なところまで堀り下げることです。これが「嫌だ」って言ったら、なぜ嫌なのか?ということを究極論まで話し合う。時には遺伝子論にまで話がいってし まうかも知れないけれども、そこまで突き詰めて考えたときに、ユーザーの根底に流れる本質的なニーズをカバーする新しいアイディアをこちら側から生み出して、逆に、ユーザー側に提示するわけです。結局、ユーザーのニーズの9割以上は既存のモノを着純にしています。みんな既存のモノの比較や既存のモノをどうアレンジするか?という意見がほとんどなので、表層的なニーズを鵜呑みにしては、作り手もユーザーも産業そのものも進化しないんです。

 世代的なギャップも、僕はあまり問題にしていません。ゲームをプレイする ユーザーは10代が一番多いけれども、僕たちは彼らの倍以上も生きている。彼らより多くの現実に目で見た良いモノを知っているはずです。たとえば、 内陸に住んでいて新鮮な魚を知らなかった人が「私は魚が嫌いだ」と言ったとしても、それは本当に新鮮な状態の魚を知らないで、魚が嫌いと言っているわけです。しかしその人の意見を鵜呑みにしてしまえば、煮た魚や焼いた魚しか出せなくなる。そういう風に表層的な意見で判断してしまうと本質的な部分で間違ってしまうわけです。
 これをドライビングゲームに置き換えるなら、小学生や中学生は現実に車を運転したことはありません。ゲームしか体験の蓄積がないから、彼らに新しいドライビングゲームのアイディアを求めても「デイトナUSA」や「バーチャレーシング」を着純にしたアイディアしか出て来ない。だから、彼らの思考や意見だけを聞いていても、たとえば「本物のレースはこうだから、もっとこうしてくれ」というような、ドラスティックにゲームを進化させる意見は返ってこないわけです。ユーザーを大切にするということとユーザーの意見を聞くと言うことは必ずしも一致しません。僕のゲームはユーザーリサーチの結果に反する試みがされているときもあります。けれどもそれはユーザを無視しているのではなく、ユーザーを想った結果なんです。

 僕等は新しいモノを作っていかなくてはならないと思っています。セガがリーディングカンパニーであるなら、ゲームを進化させていかなくてはなりません。 ユーザーの好みに併せて、既存のゲームをアレンジしていくことは手堅く安全です。新しいことをやれば必然的に欠点も持ち合わせてしまいます。不確定要素が多く、すごく危なっかしい。けれども、だからこそチャレンジのしがいがあるし、誇りも持てる。僕のゲームは欠点があってもいいんです。総合的に魅力が勝っていればいい。かつて「バーチャファイター」を作ったとき、多くの人が「段ボール箱が動いている、何だこれ?」って言いました。あのとき欠点が勝っていたら、「バーチャファイター」は、あそこで失敗して終わりでした 。けれどもユーザーはあのゲームに、より多くの魅力を感じとってくれました。 新しいトライをするときに欠点無しのモノを作るなんて、僕は神様じゃないんだからできません。でも世の中、エアコンが動かなくったって、売れるクルマはあるんです。では、また。

関連作トレーラー。

『SPIKEOUT FINAL EDITION』アドバタイズムービー。




『BINARY DOMAIN(バイナリー ドメイン) 』トレーラー。
『バイナリードメイン』初見は肩透かし食らった感じだったけど、情報が出てみたら意外と悪くないかもとか思えてきた。

新旧、名越稔洋画像集。
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再掲。見た目は変わっても芯はブレてない名越さん。

::関連::
名越稔洋オフィシャルブログ「とりあえず乾杯デショ。」

『BINARY DOMAIN』公式サイト


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ちょうど最近、自分の古い荷物を整理してたらこの頃のWIREDのスクラップが出てきた。
今ほどネットにこの界隈の情報がなかった時代だから、当時かなり熟読したのを思い出した。

日本語版の雑誌としては4年ぐらい発刊してたんだな。
もっと短かったような気がしていたけど。
[ 2011/07/26 17:36 ] [ 編集 ]


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